第1017回 例会 2022年9月7日(水)
更新日:2022/09/07
ゲスト: 西尾市民病院 前病院長 松崎正明様
本日の卓話担当:都築征成君
1.点鐘
3.稲垣善朗会長 挨拶
皆さん、こんにちは。
本日のゲストをご紹介いたします。
西尾市民病院前病院長の松崎正明様です。
本日は卓話をよろしくお願いします。
前回の例会におきまして、成田さんの事業所の火災に際しまして、寄付金並びにお見舞金をいただきまして、大変ありがとうございました。
また詳しくは幹事の方から報告させていただきます。
また、前回の理事会におきまして、本年度例会皆出席の表彰を行うことを決めさせていただきました。
本年度の例会への出席を年度末に集計させていただきまして、皆出席の方に記念品を贈呈し、表彰したいと思います。
これによって皆さんの出席に対する励みになればいい、というふうに思っております。
よろしくお願いします。
さて、本日の卓話ですけれども、都築さんに例会担当をお願いしております。
都築さんには過去、何回か卓話担当になっていただきましたが、コロナの感染拡大防止のために何回か卓話の担当を流してしまい、大変申し訳なく思っております。
本日はよろしくお願いしたいと思います。
9月になりまして、新学期の子供達が登校しているのをよく見かけます。
日本の場合は二学期が始まるのですが、外国の場合は9月から新学期が始まるところが数多くあります。
例えばイギリスやフランス、イタリアなどのヨーロッパ諸国にアメリカ、カナダなど、世界的に見ると9月に新学期を迎えるところが多いようです。
ちなみに1月はシンガポール、オーストラリア、ニュージーランドで新学期が始まります。
2月にはブラジル、3月には韓国、アルゼンチンなどがあり、5月にはタイ、6月にはフィリピン、インド、10月はカンボジア、ナイジェリアで新学期が始まります。
なぜ9月に入学式が多いのかというと、イギリスにおいて学校制度が始まった時代、ヨーロッパでは小麦が栽培されていました。
そこで農閑期である9月に新学期を始めることになったそうです。
アメリカやカナダ、その他の国も歴史的な背景として、ヨーロッパの国々の植民地だったことから、9月に始まると聞きます。
他に国によっては二学期制とか三学期制とか、そのような関係でこのようになったそうです。
ただ、日本の場合は4月から始まります。
4月から始まる国は日本の他に、北朝鮮やパナマがあるそうです。インド、パキスタンも4月からだそうですが、気温の関係から実際は6月から8月に始まるそうです。
日本が4月になったのは国の会計制度に影響されてそうなったと聞いております。
とにかく9月から新学期、二学期が始まりまして子供達も意気揚々と通学しております。
またこの秋の二学期は、体育祭があったり文化祭があったり、またまた各種旅行があったり、今年はきっと実行されると思いますので、大変良い季節だなぁと思います。
皆様も秋の季節は気候も良くなりますし、心がウキウキするような季節だと思います。
ただ、コロナの感染に気をつけて楽しんでいただきたいと思います。
ありがとうございました。
5.丹羽 修幹事 報告
(1)本日例会終了後、指名委員会を開催します。
(2)10月5日(水)開催のガバナー補佐訪問、クラブアセンブリーご出席のお願いを理事・委員長・入会3年未満の方に配布致しました。ご出席の程よろしくお願い致します。
(3)会員メンバーの成田君へのお見舞いのついて、沢山のご協力ありがとうございました。
(4)青森県大雨災害 義援金支援を行いたいと思います。ご協力お願い致します。
(5)他クラブの例会変更を事務局にご確認の上、メーキャップをお願い致します。
8.本日の例会
卓話 :『心に残る患者』
卓話者 :西尾市民病院 松崎正明前病院長
卓話担当:都築征成君
皆さんこんにちは。
松崎先生と最初に出会いましたのは、葵カントリークラブのゴルフ場でした。
その後は葵カントリークラブで時々お会いして、お話したり挨拶したりして段々と親しくなりました。
そのうちに我々のメンバーの中にぜひ入っていただきたいということで、毎週土曜日一緒にゴルフをするようになりました。
先生のお宅は、奥さんもお医者さん、息子さん2人もお医者さん、お嬢さんはフランスの方と結婚されてフランスにお住まいです。
そのお嬢さんがフランス人形のように可愛いお嬢さんでございます。
それでは先生にいろいろとお話しいただきたいと思います。
皆さん、こんにちは。
本日はこのような立派な皆さま方の集まる中でお話をする機会をいただきありがとうございます。私は昭和42年に名古屋大学医学部を卒業しましてインターンという当時の制度に従いながらも、様々な荒波に揉まれ医師の資格を取得しました。
それから40年間、臨床の現場で外科医として働いてきました。
多くの患者さん、手術も含めて、終末期の人達を看取ったり、そういった現場で患者さんからいろいろなことを学ぶ、そういう機会がありました。
臨床医というのはただ文献を読んで、学会へ行ってていうことだけではとても医者として、立派なものにはなりませんので一人ひとりの人から色々なことを学ばせてもらいまして、医者として成長していき、その過程の中で印象に残る患者さんが何人かいらっしゃいました。
今日はその患者さんのお話をさせていただこうと思います。
◯第1例目
その患者さんは、私が手術した患者さんではなくて、1年半くらい前に当時の院長が手術した患者さんでした。
お腹の中に癌が多数あり、その癌によって腸が圧迫されて腸閉塞で食べ物が全然食べられないという状態で入院していました。
回診で行くとその当時は癌ということを告知するのはタブー視されていた時代ですから、患者さんにとっては「何でこんなに苦しいことが今頃起きているんだ」という不信感の塊みたいなものでして、回診のたびに色々なことを質問されて僕みたいに医者になりたてのものにとっては適当な医学用語を使ってその場をごまかさなくちゃならないのが、なかなかうまくできず、回診でその病室の前に行くと足がすくんで入りたくないなとそんな風に思っておりました。
ところがある日、回診で行きますと飛翔にすっきりした顔で「先生長いことお世話になりました。私退院します。」と言うんですね。
婦長に状況を聞いたら、院長が、実は胃癌がから再発して、慢性腹膜炎という状態になりもう治る見込みがないということを話されたそうです。
この方は福祉事務所の所長でやらなければいけない仕事が残っていて、3月の定年退職までにやっておかなければならないことがあるという思いで退院されて行かれたようです。
退院後、お昼に小さなおにぎりをお茶と一緒に食べて、しかし腸閉塞ですから、苦しくなります。
トイレに行って自分で指を突っ込んで吐いて、また夕方まで勤め、帰りに病院へ寄って点滴を一本打って帰宅するというそういう生活をなんと定年なるまで勤め上げました。
3月にちゃんと定年退職されました。
5月の初めに再入院されて非常に穏やかな表情で亡くなられました。
この患者さんを診て、その当時の医学の常識から考えるたら、まさに奇跡ですね。
強烈に思ったことは人間って生きなければならない、やらなければならないことがあるんだから、癌に負けてられるまいという強い思いを持っているとこんなにも長く生きられるのかと非常に感動しました。
今考えますと、人間に遺伝子3万いくつとあるんですけれども、それがすべて解明されています。
癌を抑制する遺伝子、それから癌の発育を促進する遺伝子、その2つがあるんだそうです。
これがスイッチオンされてそれが働く、それでこの患者さんは、死んでなるものか、自分にはやるべきことがまだあるんだと強い思いが免疫機構に働いて、癌を抑制する免疫細胞が活性化されたんじゃないかと、今はそう説明ができるのですが、その当時はそんな知識ないものですから、奇跡だなと思っておりました。
その患者さんを診てこれは癌を告知するのがタブーというのはちょっと間違っているんじゃないかと思い、人によって告知した方が良い、人によって告知しない方が良い患者さんを見極める能力を、我々医者はそういう能力を身につけなければならないということを患者さんからは教えてもらいました。
◯第2例目
ちょうど90歳の患者さんで、とても元気な方で仲間とゴルフをして、その後ご飯を食べるというのが非常に楽しみにしておられた人です。
ゴルフは年相応に、足の方が弱ってきてやめられたのですけれども、食べる方は相変わらずよく食べておられたようです。
そのうち段々と食が細くなり、高血圧で通っていた病院で調べてもらった結果、胃の出口の方に大きな癌ができておりまして、それが原因だと言うことで僕の所に紹介されてきました。
90歳という年を考えると、ずいぶんたくさんの癌の手術はしてきましたけれども、平均寿命をはるかに超えて手術をするのはどうかなという思いがありました。
しかし本人は食べられるようになるならと手術を希望しており、外科の症例検討会でディスカッションして、やはりこれは点滴でやった方が長生きするんじゃないかとという結論になりました。
断る理由も無いですから手術をすることにしました。
必要最低限の手術をしておこうということで、1時間半くらいで終わるから大丈夫だろうってことで手術をしました。
開腹してみると腹水はあったんですけれども慢性副膵炎ではない。
リンパ節も取れそうだという状況だったもんですから、外科医の性と言いますかやれるだけやってみようということで結局リンパ節郭清もふくめて3時間近い手術になりました。
術後4日目にはテレビを見て、株のテレビを見てたのですが「君は医者なんだから株なんかに手を出すんじゃない」と叱れるくらい元気になっており、順調に回復して1か月足らずで退院されました。
その後、術後抗がん剤などで再発を防ぐということをやるんですけれども、外来で3年間免疫療法をやりました。
時々僕を呼び出して「おいしい店がある、一緒に付き合え」と言われて、付き合わされました。
胃を4分の3も切り取ったような人はそんなに食べられるのかと心配したんですが、私よりも早くシュウマイをペロッと食べる、そんな風にものすごく元気で、結局97歳で腎不全という状況で亡くなりました。
結局癌は再発しなかったですね。
7年間生きて、この間は非常に本人は好きなものが食べれて、好きな酒が飲めて、いい生活を送れたということです。
この時思ったのは、寿命以上に生きたんだから良いだろうといって患者の要求に応えないということは、やっぱり間違いでないかと、これも非常に印象に残っています。
やっぱり人間は生きるために欲望がある人、こういう人は生きていく力があるんだなと思って、あの歳で手術を断っちゃいけない、と思いました。
しかしその後、90超えた人の手術の経験、手術をしてくれという人は1人もいなかったです。
最後に僕の母親がやっぱり胃癌で入院していたんですが、母はここまで生きたんだから、もう手術をするなということで、手術は拒否していました。
だんだんと弱っていくのを見ていると、本人は家に帰りたいと思っているのかな、何とか手術で帰せんかなと思って結局僕は最期に手術をした患者さんは自分の母です。
93歳で手術しました。
一応、家まで帰ることができて、自分の部屋で最期を迎えることができたんで、良かったなと思いますけれど、本人が嫌がっていた手術をしてしまったということに僕は非常に親不孝をしてしまったなとそういう思いが湧いてきます。
これと全く逆のケースで精神的に後ろ向きの人というのは治るはずの病気が治らないというそういったケースのお話をしていた方がいいかなと思ってんですけれども、お時間がきてしまいましたのでまた別の機会にしたいと思います。
9.閉会 (会場委員会)
10.点鐘
今後の予定
9月14日(水)例会(第1018回)
卓話担当:植村律保君
9月17日(土)
〇秋の会員家族親睦旅行
『劇団四季”キャッツ”観劇』
12時30分現地集合
9月21日(水)例会(第1019回)
卓話担当:下村幸真君
〇2022~2023年度 第3回定例理事会 例会終了後
9月27日(火)
〇第1回三河安城RCゴルフコンペ 於三甲ゴルフクラブ京和コース
9月28日(水)例会休会
定款第7条第1節による