第1074回 例会 2024年1月17日(水)
更新日:2024/01/17
第1074回 例会
ビジターならびに、ゲスト:おみえになりません
1.点鐘
2.ロータリーソング斉唱(第3週)、4つのテスト唱和
3.平野勝則会長 挨拶
皆さんこんにちは。
先週の初例会には、山本委員長をはじめ会場委員会の皆様大変ありがとうございました。
そして本日は年男年女放談でございます。
7名の方が辰年ということで、楽しみにしております。
よろしくお願いいたします。
今日は辰年についてお話したいと思います。
架空の動物である龍(辰)が干支に選ばれた理由は、古代中国では実在すると信じられ、人々にとって身近な存在だったからです。
そして、この龍の鳴き声は、雷や嵐を呼び、天候など自然を支配する巨大な力を持つとされていました。
このことから、竜巻の由来にもなっております。
このように心中や霊獣のような権力の象徴として扱われ、健康をも支配する巨大な力から、辰年は時代を動かす変革や激動の年と呼ばれております。
辰年の実際に起きた過去の出来事を紹介させていただきます。
1964年 東京オリンピック開催
1976年 ロッキード事件が発生
1988年 東京ドーム、青函トンネル、瀬戸大橋など大型建造物が、竣工。
2000年 地下鉄大江戸線が全線開通、日本のBSデジタル放送が開始。
2012年 自由民主党が歴史的大勝で与党になり政権を奪回、東京スカイツリーの会会員企業やiPS細胞を発見した山中伸弥教授がノーベル賞を受賞。
2024年 新紙幣の発行予定。
以上でございます。
今年のの皆様のご活躍をお祈り申し上げます。
ありがとうございました。
4.食事 (会長)
5.荒木芳紀幹事 報告
(1)次週12時より“25周年実行委員会を開催しました。また例会終了後“細則改訂委員会”を開催致します。
(2)次週例会終了後、“クラブアッセンブリー”を行います。理事、委員長のご出席をお願い致します
(3)能登半島地震 被災地への義援金のご協力お願い致します。
(4)ロータリーフードフェスタのご案内をお配りしました。 5月11日(土)午前中に参加(例会)の予定となっております。詳細は決まり次第ご連絡させていただきます。企業広告協賛のご案内もございますのでご協力いただければ幸いです。
(5)例会時の駐車場について、工事で使用不可だった南側の駐車場が使用できるようになりました。
(6)当クラブ例会場でもありますホテルグランドティアラ南名古屋様の2階に昨年末オープンしました『康ーkouー』さんからご案内の紙を配布させていただきました。
6.委員会報告
(1)出席委員会 出席報告 (出席委員会)
会員数 63名
出席義務者数 20名
本日の出席者数 29名
出席率 86%
先々回の修正出席率 73.5%
※他クラブの例会変更を事務局にお問い合わせの上、メーキャップをお願いいたします。
7.本日の例会
『年男年女放談』
〇都築征成君
皆さんこんにちは。
私は毎朝5時半に起きまして、支度をし、家から10分ぐらいのところにある秋葉公園へ向かい、公園の中を右へ左へと歩いていきます。
そうしますと6時半にラジオ体操が始まります。
その体操を終えて家に帰ってくる、それが私の1日の仕事みたいなものです。
昨年の3月に歌の会に行きました。
その帰りに後ろにあった自動車にあててしまうということがありました。
家に帰って女房に話すと「こういう小さな事故で済んだのだから、もうこれで自動車に乗ることをやめましょう。」
そう言われまして、ロータリー来るときは近くに娘がおりますので、送ってもらっています。
一緒に来ている女房と娘はこの辺りのレストランで食事していると思います。
三河安城ロータリークラブに移籍してもう43年になります。
最近は自動車に乗れないから、もうほとんど何もできません。
こうやって1日1日送っているような私です。
以上です。
〇小西紀久雄君
今スピーチされた都築さんの2ヶ月後に生まれた小西でございます。
昨年12月10日に満83歳になったばかりですけれども、昨年の12月の9日には82歳でした。
10日になったら83になって、年が明けて元旦になったら、数えで84ということで、わずか23日で2歳も歳を取ったような感じがしております。
昔から日本では数え年という年齢の数え方をしてまいりましたが、明治維新以降、諸外国との交流が盛んになって、満年齢での対応が必要になってまいりまして、明治6年にですね、年齢計算の法を、明治35年に年齢計算に関する法律を、そして戦後になっても昭和25年に年齢の唱え方に関する法とあり、欧米の満年齢で数えるということが多いのですがも、現在でも神事だとか、仏事では数え年で行われておりまして、むしろその方が好ましいというようなこともあります。
さて、お手元の資料の青春という詩でございますけれども、以前森田経営の故森田勝己さんが卓話で取り上げられました。
読売新聞にも掲載されており、注目していた詩です。
この詩は、アメリカのサミュエル・ウルマンという人が78歳のときに書いたものでございます。
ウルマンという人は、アラバマ州で教育や黒人などの人道活動に取り組んだ人だということでございますけれども、この詩以外にこれといった作品が全くない人でございまして、米国でも知る人の少ない幻の詩人ということでございます。
しかし、戦後まもなく米紙米国の雑誌名が日本で翻訳され、私も毎月のように読んでいました。
この詩紹介されますと、日本でも松下幸之助氏ら経済人などに紹介され、座右の銘となり、広まってまいりました。
「青春とは人生のある期間をいうのではなく、心の要素を言うのだ」
「年を重ねただけで人は老いない、理想を失うときに初めて老いる」
「歳月は皮膚にしわを増すが、熱情は失えば心はしぼむ」
など、非常に面白い表現になっております。
私自身は、ウルマンの詩のように情熱を持って、理想を追い続けるというような、そういった崇高な年には全くほど遠く、年はとっても少しは好奇心を持ったり、何か探求してみようとか、成長しようという気持ちを持ちながら、気持ちだけでも若々しく過ごしていきたいとそう思っておる次第でございます。
以上でございます。
〇待田和宏君
皆さんこんにちは。
6回目の年男を迎えました。
今日はどうして陶芸の道に入ったかをざっくりとお話ししようかと思います。
小学校の頃、私はもの作りが大好きで、工作の時間に東京タワーを竹ひごで作ったり、能舞台や狂言の舞台を作ったりして、楽しんでおりました。
運動も好きで中学にあがると剣道部になりました。
高校になりますと、バレーボールをやりました。
大学は工芸学科陶芸専攻に入りました。
ところが、周りを見渡すと、みんな陶芸家の息子や、大企業の息子ばかりでこんな私がやれるのかなと、何とか制作をしいてる途中で、教授から「お前、陶芸家の息子か」と言われまして、気を良くしたのが運の悪い始まりでした。
何とか他に食らいつこうと一生懸命やって、頑張っていたのですが、実は落第しました。当時、セクトがノンポリの中で私の行動は少し違ったため、どちらかというとそちらが原因かもしれないですけども、進級問題でベースで点数があったわけです。
私はある程度作ったのですが納得いかないから、素焼きという途中の段階で出しました。
ところが他の人が完璧に出したものが基準点に満たなかった。
それ納得いかないから私は職員室になり乗り込んだのですが「お前そんなこと言う立場か」と言われました。
確かにそうです。
完成しなかった。
クラスのみんなが「私達も落としてください」と立ち上がってくれましたが、やっぱり駄目でした。
そして私が卒業する時に「さあ、どこへ行こうか」と思っていたところ、ある人から楠部 彌弌師匠の話がきました。
私は師匠の事を全然知りませんでした。
面接を重ね、ようやくお目もじして「明日から来い」と言われました。
それまでの私は甘い生活を送っていたものですから、急に丁稚奉公になり急転直下でした。
楠部 先生は文化勲章を授与された大変な先生で、お客さんと言えばやんごとなきお方ばかりでした。
鑑定団に3回出られたことがあり、その作品を私3年目に初めてやらせてもらった時に大変な失敗をしてしまいました。
これが何百万何千万になる作品かなと。
もう本当に決死の思いで、雨が降る中土下座しました。
お許しいただけないかなと気をもんでいましたが、先生は「おい待田、明日から気ぃつけやっしゃ」と仰ってくださいました。
その後何とか6年間過ごしました。
先生のもとで何とか過ごし、昨今に至るんですが、最近ちょっとわかったことがありました。
古い神社で100年ぶりに改修工事があり、私の先祖は実は瓦を造っており、改修工事で待田又衛門という名が出てきました。
私は分家の9代目で、ルーツがやっぱり瀬戸でありまして、焼き物の瓦の良い土が安城にあるということで、竹ベラ1本で求めてきまして、そのまま居ついてしまいました。
そして今の私がいるのですが、何かDNAというか因縁というかそういうのを感じます。
これも最近ですが、總持寺の山門の瓦修復工事でも待田の名前が出て問い合わせがあったりと、本が1冊書けるくらいのエピソードがあります。
また機会があった卓話の時にお話したいと思います。
以上、ありがとうございました。
〇磯村孝彦君
年男同年の小学校から一緒で、私が勉強嫌いなことを知っている渡辺真一君と知り合い、店を始めてから良いこと悪いこと、良き人たちをいろいろと教えてもらいながら引っ張ってきてくれました。
今では親友の山本雅仁君、色々教えてもらいながらここまできました。ありがとうございました。
店を始めてから38年目に入りました。
こんなに儲かるものなのかと思わされたバブル時代、バブルがはじけても影響無く営業できてきたこと、景気が悪くなり1年目からお客さんが半分以下に減った3年間のリーマン・ショックで初めて店を辞めようと考えました。
でも2年過ぎた頃からお客さんが戻ってきてくれて、辞めずに進んで今があります。
恐い思いもしました。
最近ではコロナがあり、良いこと、悪いこと、大変なことが色々ありました。
でも何とかたくさんの人に助けてもらいながら、乗り越えてこれました。
これも良い人との出会いがあったからだと思います。
良い人との出会いは大事ですね。
すごく感謝しております。
その中で、20年間働いていてくれた子が昨年卒業し、独立しました。
今月末オープンですけど、その子にほぼ裏方の仕事を任せていたので、今年から15年ぶりに仕込みから営業中も動き詰めでなんだか今年になってから毎日疲れまくっています。
60歳になったらもう少し楽に過ごせると思っていたのですが、なかなか思うようにはいかないですね。
ようやく感が掴めてきて最近楽しくやれるようになってきたので良かったと思います。
今年から改めて年男の息子もうちで一緒にいます。
これから親子で力を合わせて今まで以上に頑張ってやっていこうと思います。
スタッフが減った分、例会に出席する数が減っているかもしれませんが、頑張って参りますので、またよろしくお願いします。
ありがとうございます。
〇山本雅仁君
最近、60歳になってなのかわかりませんが気になった話とか、これを考えると眠れなくなった話を2つほどさせていただきます。
先日、3人でお食事行きまして、1人10,000円ずつ持ってきまして、会計が25,000円でした。
5,000円お釣りがきます。
多いですから1人ずつに1,000円返しました。
残り2,000円です。
それで1人ずつ9000円ずつ払って27,000円で2000円だと29,000円です。
残り1,000円どこにいったのか。
これを考えた時に眠れなくなってしまうという話ですけど誰か答えわかったし教えて欲しいと思います。
そしてもう1つ。
気になる数字なんですが、11と46。
能登半島大震災 1月1日4時6分
阪神・淡路大震災 1月17日5時46分
東日本大震災 3月11日2時46分
大分中部震災 4月16日 7時11分
チリ地震 4月1日8時46分
アメリカ同時多発テロ 9月11日8時46分
30年以内に東南海地震がくると言われていますが、11と46に関係する時間日にち来るかもしれませんので皆様気をつけていただきたいと思います信じるか信じないは、皆様だと思います気をつけてほしいと思います。
以上です。
〇渡辺真一君
大学で学んだこと、昨今の話題といいますと地震の話があります。
自分が大学に入ったことを直前に宮城県沖地震というのがありました。
昭和54年頃だと思いますけども、建物が大きく倒壊して、建築基準法と呼ばれるものがかなり強化されて、一大転機だったように思えています。
その後にも神戸の大震災だとか、色々な地震を経て今に至っているわけですけども、昨今聞いた話で興味深い話が能登地震でも、ここ5年ぐらいで作った建物はほとんど無害であったということです。
やはり最近の建物はしっかりしているということが言われています。
やはりその通りで設計や基準とかが様々な事例を基にフィードバックされていきまして、テクノロジーの進歩もあると思いますが、今回も大きく壊れていたのは昔の建物だったっていう話を聞くとなるほどという気がします。
その昔で言うと今超高層で300メーターを超える建物とかが東京の方では何本も建ち出しているのですが、その昔100尺の制限つまり31メーター以上建物を作っていけないっていう時代がありました。
今なぜこんな建物ができるようになっているかっていうと、これも技術の進歩でして、大学時代にこの話を聞いてすごく面白かったなと思って記憶しています。
東京大学の方が学説として建物は「剛」であるべきだ、頑丈であるべきだと唱えました。
対する京都大学の方が、いや、柳に風で力を逃がすような建物で地震には耐えるべきだと唱えました。
その二つのカードが結局、100尺制限を破るきっかけになるのでが、それぞれ東大の学説は「免震構造」で、京都大学の学説は「制震構造」でした。
今は2つのハイブリッドみたいな建物も出来上がったりしていますが、ものすごく進化・進歩しているということを考えざるを得ません。
今日も壇上に上がる時に斎藤くんから「60歳にもう還暦ですね渡辺さん」と言われると、まさにそんな気がしました。
今日調べ物をしてきましたら、昔の平均寿命はどうだったのかと考えると、江戸時代だと30代、明治時代でも40代、縄文時代にあっては15歳というように聞きます。
だから寿命も延びたり色々なことが革新して変わっていく中で、きょう小西さんがお話されていたように、いつまでも何かをチャレンジしたり色々ことに興味を持ったりして、気持ちよく新たな年を迎えて良い歳の取り方をしていきたいと思っております。
ありがとうございました。