第1067回 例会 2023年11月8日(水)
更新日:2023/11/08
第1067回 例会
ビジターならびに、ゲスト:おみえになりません
3.平野勝則会長 挨拶
皆さん、こんにちは。
先日新聞で素晴らしい発表がございました。
当クラブメンバーの西尾四郎君に藍綬褒章が授与されました。
後ほど改めてお祝いしたいと思います。
『札幌市出身。親類に医師が何人もいたことから自然と医学の道を志した。
36歳で妻の実家がある安城市に移り住み、麻酔医として整形外科病院に勤務した際、手術後の高齢者が家族側の理由で自宅に戻れない状況に直面した。
何度かしたいとの想いから、1998年市内初の老人保健施設を開設、特別養護老人ホームへの入所を待つ人で定員がいっぱいになると、社会福祉法人を立ち上げ2007年に特別養護老人ホームを開設した。
「どんな人でも最期まで関わりたいという想いで行動してきた」と力をこめる。
現在も医師と社会福祉法人の理事長の仕事をこなす。
今後は人のために尽くしてくれる後継者を育てていく。』※中日新聞(秋の褒章 県内33人・1団体に)より抜粋
本日は追悼例会となります。
物故会員(ご逝去日)
吉橋莞爾君(200/7/16)
石田裕幸君(2000/8/15)
加藤芳則君(2004/8/30)
鳥居剛育君(2013/10/28)
待田 清君(2019/9/10)
森田勝己君(2021/7/27)
7名の物故会員の皆さんの思い出を語りながら、追悼していきたいと思います。
よろしくお願いします。
4.西尾四郎君 藍綬褒章受章のお祝い
〇西尾四郎君より 挨拶
この度は自分でも驚いております。
安城に来て42年、良きスタッフに恵まれて今があるのだと思います。
安城RCから大変お世話になっております。
これからもよろしくお願いいたします。
5.荒木芳紀幹事 報告
(1)11月12日(日)地区大会2日目の当日の御案内・名札を登録された方にお渡ししました。宜しくお願いします。
(2)次週例会終了後、指名委員会を開催します。
(3)他クラブの例会変更を事務局に御確認の上、メーキャップをお願い致します。
本日はお参りいただき、ありがとうございます。
皆様にとっても大切な方々をお参りさせていただいたことは、誠を捧げる思いを私も一緒にさせていただいたことは大変ありがたく思っております。
今日、皆さんの中に在りし日の姿を思い浮かべていただいたのではないでしょうか。
仏様の教えに「無常」というものがございます。
お釈迦様は「この世の中に常なるものはない」と仰られました。
私達の身体、命、家、家族は永遠にあるものではないですよと仰っておられます。
それを身をもって教えてくださったのが、本日お参りさせていただきました7名の方であり、皆様のご先祖様でもあったりします。
頭の中ではわかっているのですが、心の中ではまだまだ大丈夫だと安心されている方もいらっしゃるのではないでしょうか。
皆様の後ろに飾ってあります木板をご覧ください。
木板を木槌で叩き、音を鳴らします。
時を知らせる音であり、ご飯の準備ができたことを知らせる音であり、法要の始まりを報せる音でもあります。
私が人生で初めて木板を叩いたのは、修行させていただいた永平寺でした。
誰もが修行僧として寺内に入る際にこの木板を叩きます。
木板は吊るしてある紐をもって木槌で叩くのですが、当時私はそれを知らず、紐を持たずに叩いてしまいました。
木板は反動で壁にぶつかり、その後和尚さんから「壊す気か!」と怒られしまいました。
「もう一度やり直せ」と言われ、やり方を教えてもらい鳴らすことができ、今では私の中で大切な思い出となっております。
木板にはこのようなことが書かれております。
『時は無常に迅速に過ぎ去っていくものだから、それに早く気づいて人生の一大事を悟るべく寸暇を惜しんで修行に励みなさい』
今年もあと2か月を切りました。
皆様自身の人生の残り時間を考える時もあろうかと思います。
人がいつか死にゆく運命である以上、病気であっても健康であっても一刻一刻は減りゆくのだということはマリ害の無い事実です。
さて、御経の中に「黒白二鼠のたとえ」という話があります。
『一人の旅人が山道を歩いていた。
ふと後ろに異様な足音がした。
振り返ると虎が後ろから追いかけてきた。
大変だ、食べられてはいけないと一生懸命逃げた。
走って逃げた先は弾劾だった。
絶体絶命だと思ったその時、目に入ったのは大き藤の蔓だった。
必死の思いで蔓を掴み、何とか崖を降りはじめた。
何とか崖の中腹まで降りることができ一息ついた。
手足は痺れていたが、このまま降りてしまおうと下を見ると、大蛇が口を開けて睨んでいた。
逃げ場が無くなったと、他の道を探すとそこには4匹の毒蛇が立ちはだかった。
思わず上を見上げたら、降りてきた藤の根元で黒と白の鼠がその蔓を交互にかじっている。
本当に今度こそだめだと思った時、何かぽたっと落ちてくる。
それは藤に蜂の巣がかかっており。蜂蜜が落ちてきていたのだ。
思わず「これは美味しい」とうなった。
旅人は自分が置かれている状況をすっかり忘れてしまった。』
これは何を私達に教えてくれるのか。
人生は山あり谷あり、ふと気づくと死をもたらすもの(=虎)が迫ってきた。
何とか生き延びたその先にも、死をもたらすものはまだ待っている。
藤蔓は寿命を指し、その根元が白(昼)の鼠と黒(夜)の鼠が交互に(昼夜問わず)かじっている(過ぎていく)ということを表しています。
そう考えると人間は常に窮地の中にいるということです。
しかし、私達は常に緊迫して生きているわけではありません。
それは、蜂蜜(欲)と共に生きているからであります。
欲が無いと人間は生きていくことが出来ません。
欲を叶えられない時は苦しみを伴い、叶えば喜びを感じます。
私達は常に苦しみの世の中に生き、わずかな喜びを感じて真実を見落としていることがある。
これが人間なのだということを、このお話は教えてくれています。
この木板は叩き、聞くことで、残り時間が少ないことを知り、残された時間でどのような徳が積めるのか、そこに気づいて今始めなさいということを教えてくださっています。
「光陰矢よりも迅やかなり」と申します。
短い人生一つでも多くの徳を積んで頂ければと思います。
本日はありがとうございました。