第769回 例会 2016年5月25日(水)
更新日:2016/05/25
第769回 例会
司会 齋藤光正君
ゲスト :名古屋女子大学教授 竹尾 利夫 様
ビジター:
1.点鐘
2.ロータリーソング斉唱
3.富田会長挨拶
皆さん、こんにちは。ご存知の通り伊勢志摩サミットが明日からいよいよ開催されます。それに先立ち各国の金融、貿易、環境エネルギーなどについての話し合いのために各国の大臣も事前に来日され話し合いがもたれております。これらをもとに明日から各国首脳が伊勢志摩で話し合い微調整され一年間の方向性が示されることと思います。そんなサミットですが、伊勢志摩に入るためには必ず愛知を通りますので大村知事もお出迎えなどで相当忙しそうでした。いろんな方々が根回しや事前準備を行って開催されるサミットですのできっと成功することと思います。今日は、その反対というかこれが日本なのかと感じた出来事をお話しさせて頂きます。震災のあった年、2011年5月6日の事ですが、大村知事と知事公邸で食事をしておりました。石原勝成さんもご一緒でした。総理官邸から電話があり、19時からのニュースを見ておりました。震災後で原発について様々な憶測があった頃です。菅総理の記者会見が始まり「原発が津波に対して無防備なので浜岡原発を止めてほしい」というような突然の話でした。大村知事も全く聞かされていない話だったようで「何を勝手なことを言っているんだ」と立ち上がり叫んでおりました。すぐに中電と連絡を取られ出かけられました。こんな大事なことが愛知、静岡の地元のリーダーに事前の相談もなく記者会見で発表されるという事が目の前で起こり、日本でもこんな事が起こるんだと愕然としました。町内会の会費を何百円上げるにも苦労して根回ししますよね。信じられないかもしれませんが本当の話です。日本の産業の中枢を支える中部圏の電力にかかわる重大なことが何の根回しもなく発表される・・・・。案外、国なんてものはいい加減なものかもしれないと思わせる出来事でした。翌日聞いた話ですが、徹夜の会議の後、中電の社長さんは火力発電用の燃料確保のために中東に行かれたそうです。嘘のような本当の話です。皆様は、どう感じられましたでしょうか?それでは、本日も最後まで例会をお楽しみください。お食事をどうぞ。
6.副幹事報告(小野副幹事)
・次週6/1(水)18時よりすず岡にて“合同委員会”を開催します。
(全メンバー)
本日が登録の締め切りです、出欠のお返事を事務局までお願いいたします。
・次年度の事業計画書の原稿を、月末までにご提出ください。
7.委員会報告
1)出席報告 出席委員会(深津委員長)
会員数64名(名誉会員1名/正会員63名)
出席義務者数48名
本日の出席者52名
出席率85.2%
2)カラオケ同好会からのお知らせ
(竹内世話人代表)
3)ニコボックス
11件 36,000円
私の研究は、文字を持たなかった日本人がどのようにして文字を獲得し、今現在の言語を書き表すようになったのかという所が一番の中心でもあります。
日本人は大陸との交渉の中で文字を必要としました。
そこで漢字を使い慣らし、大和言葉をようやく書けるようになり、万葉集になりました。
まず、万葉集とはどのようなものか。
約4500首が収められているこの和歌集は、20巻ありまして、始まりは日本人が漢字を使いだした時代です。
持統天皇の歌などは、漢字の訓仮名と音仮名を使い分けています。
その後漢字を崩したり、切り取ったりして平仮名や片仮名が生まれ、物語等をつくる事が出来るようになりました。
「朝寝髪 吾れは梳づらじ うるはしき 君が手枕触れてしものを」
乱れた髪の毛にも自分の愛する人の面影が残っていると歌っています。
「信濃なる 千曲の川の細石も 君し踏みてば 玉と拾はむ」
川の石でも愛する人が踏んだ物ならば宝石のように大切に思うという歌です。
こういった部分は人間の根源的なところだろうと私は考えています。
「新しき 年の始の 初春の 今日降る雪の いや重け吉事」
これは万葉集最後の歌なんですが、
「の」を雪に例えて、今年も良い事が重なるように歌った願い歌です。
これを持って万葉集は幕を閉じていきます。
「夏の野の 茂みに咲ける 姫百合の 知らえぬ恋は 苦しきものぞ」
自分の秘めた恋心を草原の中の1輪の姫百合に例えている歌です。
有名な人も詠んでいます。
「 我はもや 安見児得たり 皆人の得難にすといふ 安見児得たり 」
藤原鎌足の歌です。嬉しくて言葉を繰り返していますね。
気持ちを表現する上での歌のリズムであり、強調なのです。
とんでもない歌もあります。
「からたちの うばら刈り除け 倉立てむ くそ遠くまれ 櫛作る刀自」
こんなものも万葉集には出てくるわけです。
つまり、歌という形式でしか心を言い表す事が出来なかった、それが万葉集という和歌集であるという事を是非知っていただきたいのです。
「君待つと わが恋ひをればわが屋戸の 簾動かし 秋の風吹く」
簾を風が動かして、愛する人が来る前触れを教えてくれたと歌う人もいれば
「風をだに 恋ふるは羨し風をだに 来むとし待たば 何か嘆かむ」
私の所にはもう風すら吹かないわと歌う人もいます。
「烏とふ 大をそ鳥の まさで(真実)にも 来まさぬ君を ころくとぞ鳴く」
今か今かと待ち焦がれる女性の歌なんですが、烏の鳴き声が「来る来る」と聞こえる、烏は嘘吐きだという面白い歌ですね。
「稲つけば かかる我が手を今夜もか 殿の若子が 取りて嘆かむ」
女たちが夜なべ仕事をしている時に有り得ないような事を想像していく、そこに彼らの生活の喜びを見出していく、むしろここは笑いの歌を感じ取りたいですね
次は実際には本当にあった事でもあります。
「君が行く 海辺の宿に 霧立たば 吾が立ち嘆く 息と知りませ」
夫を想う妻の嘆きが霧になるという歌なんですが、続きがありまして本当に霧が立ち込めた、妻が自分を想ってくれているのだなという歌が万葉集に残っています。
皆さんには恋の歌をを通して、万葉人が何を歌ったのかという事を申し上げました。
ホームドラマやラブソングのような歌い方をしているかもしれませんが、このような形で彼らはそれぞれの生きた証しを残そうとしたわけなんですね。
万葉集は私たち日本人の心の原点でございます
これにご縁に、もし何かありましたら是非万葉集を読んでいただければと思います。
ご清聴ありがとうございました。