第804回 例会 2017年3月1日(水)
更新日:2017/03/01
第804回 例会
司会 安藤 毅君
ビジター、ゲスト :おみえになりません
本日の卓話担当:矢田良一君
1.点鐘
2.君が代、ロータリーソング斉唱 (第1週)
3.安藤一高会長挨拶
皆さんこんにちは。。
今日から3月になりました。3月と言えばひな祭りですが、私の家の雛人形はこの5年程飾っておりません。
3月の花というのは「桃」を思い出しますが、木偏に兆しと書きます。新しい命の兆しを表していると言われています。
雛人形の最下段に飾ってありますが、子供達を側で見守っているというところでしょうか。
花言葉は「愛の幸福」ということでいかにも春らしく、いよいよ季節が華やいでくるという感じですね。
4.食事 (会長)
5.小野幹事 報告
1、本日入会候補者、川合誠治さんの書類をお配り致しました。ご異議のある場合は、7日以内に会長までお申し出ください。
2、IMをご欠席された方に、記念品を受付にてお渡ししました。
3、他クラブの例会変更をご参照の上、メーキャップをお願い致します。
8.委員会報告
(1)出席委員会 出席報告 (出席委員長 長田和人君)
会員数 63名
名誉会員数 1名
出席義務者数 46名
本日の出席者数 52名
出席率 88.1%
先先回の出席率 93.2%
(2)ロータリー情報委員会よりファイヤーサイドミーティングの案内 (竹内泰夫委員長)4月12日(水)18時〜
(3)ゴルフ部会よりスタート表配布のご案内
3月23日 19時15分〜 於愛知カントリー倶楽部
(4)カラオケ同好会 (竹内世話人代表)
3月8日(水) に定例会を開催致します。
(5)掬び会のご案内(山口副会長)
4月26日(水)18時〜 於「楽」
(6)ニコボックス報告 (委員長 渡邊真一君)
12件
7.本日の例会
卓話『孤独死と納得死の紙一重!』
卓話者:矢田良一君
担当:矢田良一君
本日ここにみえるロータリーの会員には全く縁のない話をします。
しかし、『ニーチェとの対話』という本の中に、「『見捨てられていることと、孤独とは別のことだ』むしろ、孤独死が自分の理想の死である」とあります。いろいろな考え方をする人がみえます。
本日は、(1)何故、孤独死が忌み嫌われるか? (2)孤独死の何が問題か?の二つの視点を中心にお話します。
1.女優大原麗子は幸せな一生であったか?
大原麗子の除籍事項証明書には、おそらく平成21年8月3日推定○○時死亡と記載されていると思います。
弟大原政光が、7月末から何度電話するも連絡不通で、8/06 弟大原政光と警察が介入して、不整脈による脳内出血により死亡が確認され、3日間一人ベットの隣りに倒れていたことになります。
阪神淡路大震災(H7年)後の仮設住宅での誰に看取られることもなく一人孤独死するこが、孤独死の定番でしたが、平成21年の大原麗子の終わり方が、孤独死をマスコミで大きく報道する始まりです。晩年、親しい友人すべてから、そっぽを向かれた大原麗子は、誰もが不幸な亡くなり方をしたと考えていたと思います。
2.「孤立した孤独死」を立命館大学の美馬達哉氏は、自然のままに誰かの介入なく放置された死と表現していましたが、一般的に、(1)自宅で誰にも看取られずに亡くなる、(2)死亡後、数日後に発見され、自殺や犯罪性を除く遺体と定義されます。
驚いたことに『遺品整理屋は見た!』の著者である吉田太一氏のレポートによると)、孤独死は「55歳から65歳にかけての男性」に集中しているそうです。「独居老人の孤独死」と呼ぶにはまだまだ若すぎる年齢です。
また、人は急に孤独死をするわけではない。孤立して生きてきた人が、孤独死を迎える。生き方と死に方はつながっている。どういう風に生きて来たか?が、どんな死に方をするか?につながることが多いのでしょう。
3.私の出会った孤立した孤独死を二つ紹介します。
(1)PPK(ピンピンコロリ)型孤独死の “冬男氏(仮名)”ですが、アイシンに勤める一人で暮らしの中年で、冬の寒い夜、コンビニで買ったおでんが喉に詰まって、そのままこたつの傍で冷たくなっていたそうです。翌々日後の夜発見されましたが、特殊なケースです。もう一つは、要支援から要介護・終末期を経た孤独死です。札幌氏(仮名で、14人兄弟姉妹の四男坊)で、猫屋敷でごみ屋敷でなくなりました。除籍事項証明書には、平成22年10月1日から10日までの間死亡とあり、11月中旬発見されました。北海道での出来事でしたから、大変な相続手続きでした。これも驚いたことに、預貯金だけでも7000万円を超える財産がありました。それだけのお金があるのなら、なぜ他人に頼らなかったのだろう?と不思議でした。一人ボッチの辛さより、一人でいたい自由のほうが優先したんでしょうか。
4.どんな人が孤独死になりやすいか?
先ずは、(1)孤立した高齢者、独居老人ですが、これは疑う余地はありません。意外なのは、(2)仲のいい二人暮らしの残された連れ合いの死(たとえば非常に仲睦まじい夫婦)です。残された連れ合いは、今までの二人の関係が余りに良くて、二人だけの関係ですべてが満たされていたので、連れ合いを亡くした後、新しい関係を築くことができず孤独死になってしまう。仲睦まじい夫婦は、いつどこで、突然の相手の喪失があるかわかりません。いつも連れ合いがいなくなることの覚悟が必要でしょうか?
5.「孤立した孤独死」の対極はどんな死に方があるか。満足死(模範死)あるいは「自然な納得死」と呼びましょう。ノンフィクション作家の奥野修司氏著の『満足死』によると、本人・家族・医療介護関係の三者がともに満足する死を満足死というそうです。
また、医療社会学者(立命館大学)の美馬達哉氏によると、「自然な納得死」には次のような5点の要件が必要だそうです。
(1) 本人が死を自覚していること、
(2) 本人も家族も死に備えていること、
(3) 経済的および法的な準備が整っていること、
(4) 仕事などの社会的責任が終結していること、
(5) 周囲のひとたちが「さよなら」と言い終わっていること、
ロータリークラブの会員にとって当たり前なことでしょうが、理想的な死・模範的な死の条件には、家族が『死に目にあう』ことが欠かせないことになります。
ここから本題ですが、「何故、孤独死が忌み嫌われるか?」、通常は悲惨だからでしょうが、「すべての孤独死が悲惨でしょうか?」、「『孤独死』につきまとうネガティブなイメージをなんとか払拭できないものだろうか?」
「孤独死の何が問題か?」を三つの視点から考えてみたいと思います。
(1)「家族として最期を看取りたい」・「家族に看取られたいこと」の価値とは何か?
「最期は家族に看取られたい」という希望はわかります。また、「家族として最期を看取りたい」という家族の希望もわかります。
アニメ山本直樹著『ありがとう』に描かれる主人公の意識が失われて息を引き取る印象的なラストシーンを紹介しますと、
「ああ、いい気持ちだ」・・・「眠い。とっても眠い」・・・「しっかりやんなさい」・・・「なんにも悲しいことはない」・・・「お父さんは、できるだけのことはした」・・・「私は幸せだ」・・・「ありがとう」で終わります。これは、小津安二郎の映画『父ありき』のラストシーンの引用だそうです。死の瞬間に誰かがそばにいることは、死に逝く人にとってそんなに大事なことだろうか?と思います。つまり「家族に看取られたい」という希望は、元気なころの発想であり、死んでいく本人にとって、「看取られる」という行為はどうでもよくて、余り価値があるとは思えません。死とはもともと一人で逝くもの、一人で成就するものであり、一緒に死のうは実現しないのです。しかし、日本では、家族に看取られて死んでゆくことが「好ましい自然な納得死」とみなされます。「死に目を看とる」行為は、死にゆくひとのためにではなく、残された家族のほうのこだわりではないでしょうか?
(2)残された人・弔問者への印象の悪さを如何に解消できるか?
ア.発見されやすいような配慮が必要です。孤独死には、死後数週間から数カ月たって発見されるケースが多いです。死臭がただよい、腐敗もすすみ、ウジ虫も涌く。病院や施設にいれば、医療や介護のプロが看取ってくれるでしょう。その人たちに「ありがとう」を言って死んでいけばいいです。それまでに親しい人たちとのお別れは可能です。独居老人でも近隣の見守りネットワークや、定期的な訪問介護があれば、数日のうちには発見してもらえるかもしれません。発見が遅れるとからだ・遺体が"モノ" として扱われ、非常にやっかいな存在になります。死ぬのはひとりでもできるが、自分の遺体を含めて死んだあとの後片づけは、ひとりではできない。孤独死は淋しい印象だけでなく、はた迷惑なものです。発見されやすいような配慮は必ず必要です。
イ.葬儀の参列者にお礼のメッセージを残すことはできないか?
多くの出会いと生き切れた人生への感謝、こんな人生を送っていましたというお礼の挨拶を残すことができれば、気の毒な孤独死と思われることはないでしょう。そのメッセージを作成することのお手伝いする作業は、私の仕事です。
(3)終末期と終わり方に人生のどれだけの価値があるか?
東京都の死亡解剖をする監察医の小島原将直氏の「孤独死」事例レポートは非常に興味深いです。彼が高齢者にすすめるアドバイスは次の5点です。
1.生を受けた者は死を待っている人。よって独居者は急変の際早期発見されるよう万策尽くすべし。
2.皆に看取られる死が最上とは限らない。死は所詮ひとりで成し遂げるものである。
3.孤独を恐れるなかれ。たくさんの経験を重ねてきた老人は大なり小なり個性的であり、自分のために生きると決意したら世の目は気にするな。
4.巷にあふれる「孤独死」にいわれなき恐怖を感じるなかれ。実際の死は苦しくないし、孤独も感じない。
5.健康法などを頼るな。
死ぬという経験は自分一人で成し遂げる行為であり、一緒に死のうも殺してくださいもないです。
つまり、一人で死んでいくことの納得の哲学、死生観の確立が必要です。
人生には様々な浮沈の時期があり、限りなくそれが巡っていきます。順風満帆な時期から深淵の悲しみまであるかもしれない。その都度足元しか見えない人は、人生の巡り合いに翻弄されて幸せにはなれないかもしれない。
自分の人生を長いプロセスとしてとらえる想像力があれば、一時の悲しみに翻弄されることもない。するとどんな終末期を過ごし、どんな死に方をするか?は、あまり価値あるとは思えません。「孤立した孤独死」を恐れる必要は全くないのでしょう。
最初にもどりましょう。大原麗子は幸せな一生であったか?
大原麗子ほど20代末から30代にかけて、華々しく活躍された女優はいないです。
晩年など問題ではなかったかもしれません。彼女に人生を長いプロセスで評価する力があったのなら、彼女は間違いなく幸せであったでしょう。
最後に一つ紹介します。
『終着点は重要じゃない。
旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ。』
終着点というのはゴールです。人生でいうならば、死です。
人生を登山に例えれば、登山のゴールは山頂での達成感でしょうが、人生のゴールの死に達成感を感じて終わる方は少ないでしょう。
登山と違って、人生には終着点の充実感が必要ないかもしれない。
『終着点は重要じゃない。旅の途中でどれだけ楽しいことをやり遂げているかが大事なんだ。』これは、スティーブ・ジョブズの残した言葉です。
きっと孤独な終わり方になる私の人生にとって、ロータリーで卓話をしている今この時が人生のハイライトの一つであると思います。
ご清聴ありがとうございます。
9.閉会 (会場委員会)
10.点鐘
今後の予定
3月8日(水)例会(第805回)
卓話『東北の今とこれからの防災』
卓話者:公益財団法人鎮守の森のプロジェクト事務局 荒木奏子様
担当:大見和志君
3月15日(水)例会休会
定款第6条第1節による
3月22日(水)例会(第806回)
担当:齋藤 博君
2016〜2017年度 第9回定例理事会
3月23日(木)三河安城RCゴルフコンペ 於愛知カントリー倶楽部
3月29日(水)例会(第807回)
夜間親睦花見例会 18時〜 於豊田市さくら亭豊龍閣