第1144回 例会 2025年10月8日(水)
更新日:2025/10/08
第1144回 例会
ビジター:おみえになりません
ゲスト :IM実行委員長 安井喜秀様(知立RC)
同副実行委員長 杉原透恭様(知立RC)
本日の卓話担当:岡崎重太郎さん
1.点鐘
2.ロータリーソング斉唱(第2週)
3.長坂 誠会長 挨拶
「みんなで大家さん」は、不動産にみんなで投資して、年7%の配当をうたっています。
出資金はすごく大きくて、数百億円にもなります。
ただ、出資したお金が絶対に安全かというと、そうとは言い切れません。
法律上、元本保証はなく、損をする可能性もあります。
運営側は出資金を守るために頑張っていますが、分配金の支払いが遅れたり、返金が難しい状況が続いています。
そのため出資者の間では不安が広がり、集まって訴訟を起こす動きも出ています。
「本当にこの高い利回りは大丈夫?」と疑問を持つ声も多く、実態が怪しいと指摘されることも。
出資は高額なので、主に富裕層の方が参加しています。
こうした投資にはリスクがあるので、しっかり考えて判断することが大切です。
金融機関も慎重になっているため、無理な融資はしていません。
つまり、みんなで大家さんへの投資は「儲かるかも」と思っても、よく注意して行動することが必要なのだと思います。
以上です。
4.IM PRタイム
来年2月21日(土)13時から、昨年と同じ刈谷市のホテルで「IM」を開催します。
ただ、今回からそのホテルがANAの名前を冠したホテルに変わるので、少しイメージが変わるかもしれませんが、場所は同じですのでお間違えのないようお願いします。
「IM」とは、治療実行委員会のことです。これまでは淡々と進めてきましたが、今回実行委員会に「何か面白いことをやってほしい」という声が届き、私たちも戸惑っています。
そこで、AIを使って何かできることはないか考えています。
今回のIMのテーマは、「9クラブと西三河文庫が一つになるにはどうすればいいか」を皆で考えること。
各クラブ(刈谷、高浜など)の特徴や活動について意見を出し合いながら、みんなで話し合いたいと思っています。
当日の流れは以下の通りです。
第1部:式典(いつも通り)
第2部:各クラブのPRタイム。「こんな活動をしています」「こんなPRが効果的です」といったことを共有してください。
第3部:9クラブそろっての大宴会! PRの内容を肴に、楽しい時間を過ごしましょう。
盛り上げ方は皆さん次第。やじや拍手も大歓迎! みんなで盛り上げて楽しみましょう。
ぜひ気軽に参加して、仲間づくりの場にしてください。
当日は12時から「友愛の広場」でチルクラブ全員がお待ちしています。
たくさんのご参加をお待ちしています。よろしくお願いします
食事 (会長)
5.沓名由美子幹事 報告
(1)本日、例会終了後に指名委員会、その後すぐに戦略委員会を開催いたします。場所は後方に用意しております。委員の方はよろしくお願いいたします。
(2)次週15日の例会は休会となりますが、同日18時からカラオケ同好会を開催します。多数のご参加をお待ちしております。
(3)他クラブの例会変更を事務局へ事前にご確認の上、メーキャップをお願いいたします。
本日は「75年を振り返って」というテーマをいただきましたが、限られた時間ですので、その一部を中心に、これまでの人生や経験についてお話しさせていただきます。
ロータリー歴は35年になりますが、これまで卓話の機会は数えるほど。あまり話が得意ではありませんので、今日は肩の力を抜いて、自分のことを素直にお話しする、というスタイルで臨みます。
【自己紹介】
1950年6月16日生まれ、大阪府吹田市出身です。今年75歳になります。ちょうど1970年の大阪万博の開催地、千里丘陵の近くで生まれ育ちました。
7人家族で、父は大阪市内で自動車修理業を営んでおり、私は三姉妹の末っ子として育ちました。父は大正生まれで、叔父がダイハツ(旧・大阪発動機)の役員をしていた影響で、同社に関わる仕事をしていたと聞いています。母は気丈な人で、95歳まで自分のことは自分でやるという立派な人でした。11年前に他界しましたが、今でも尊敬しています。
【安城に来た理由】
私がよく聞かれる質問のひとつが「なぜ安城に来たのか?」です。
私は大学卒業後、薬品会社に就職し、営業職として3年ほど働いていました。しかし、その会社は転勤が多く、家庭を持つには不安がありました。
一方、妻の実家が安城市で、建設会社を営んでおりました。当初は奥さんの弟さんが後を継ぐ予定でしたが、進学を機に方向転換され、後継がいなくなったことで、私が入ることになったという経緯です。
建設業の経験は全くありませんでしたが、「なんとかなるだろう」という気持ちで安城に来ました。今では「なぜ安城に?」と聞かれるたびに、ありがたいご縁だと感謝しています。
【我が家の国際交流】
私の75年の人生で、特にお話ししたいのが「国際交流」の話です。これは、三女が高校2年のときにアメリカへ留学したことがきっかけでした。
三女が留学したことで、夫婦だけの生活になり、寂しさもありました。そんなときに妻が「今度はうちで留学生を預かってみたら?」と提案してくれました。
そこから約30年、AFSというボランティア団体を通じて、長期・短期合わせて25名の留学生を受け入れてきました。受け入れた国も様々で、ドイツ、ハンガリー、イタリア、オーストラリア、タイ、ニュージーランド、デンマーク、カナダ、アメリカ、フィリピン、スロベニア、韓国、フランス、リトアニア、香港など15カ国以上になります。
特に印象に残っているエピソードを2つ紹介します。
〇エピソード(1):ハンガリーからの留学生「カティ」
16歳で来日したカティは、安城東高校に通いながら我が家で1年間過ごしました。非常に優秀な子で、スポーツ万能、語学も堪能。帰国後も何度か来日しており、今はハンガリーで自動車関連会社を経営しています。
あるとき、家族で温泉旅行に行った際、カティは最初タオルで体を巻いたまま入浴しようとしていました。日本の文化を教えたところ、次に入ってきたときは「堂々と」していたそうで、皆で大笑いしたことを覚えています。
〇エピソード(2):リトアニア大使のホームステイ
ある国際フォーラムの企画で、リトアニア大使のアルギスタス・クジス氏が我が家にホームステイされました。大使の日本語は非常に流暢で、北海道大学に留学経験があり、日本人の奥様もおられるとのことでした。
ホームパーティーでは、東京の新聞社の記者も取材に訪れ、賑やかな時間を過ごしました。現在は材木関連のビジネスをされているようで、娘と孫が北海道に行った際にも食事に招待していただきました。
【万博と私】
最後に、万博の思い出を少しだけ。
1970年の大阪万博には、地元ということもあり、何度も足を運びました。参加国77カ国、入場者数は6400万人超という規模で、当時の日本の人口の半数が来場したと言われています。
2005年の愛知万博では、ロータリー館や日本館などを訪れた記憶があります。ロータリークラブとしての活動にも関わっていたのが印象的でした。
そして、2025年の大阪・夢洲での万博にも行ってきました。2万8000歩歩き、パビリオンも8つほど回りましたが、チケットの予約などで苦戦し、非常に疲れました。
ちなみに、この大阪万博の設計は建築家・隈研吾さんです。隈さんは、碧海信用金庫の名古屋支店の設計も手がけており、ここでも安城とのご縁を感じます。隈さんの建築を感じたい方は、碧海信用金庫に行ってみてください。
駆け足ではありましたが、私の「75年を振り返って」をお話しさせていただきました。
ほんの一部ですが、私が大切にしてきた人とのつながり、地域との関わりを少しでも感じていただけたら幸いです。
また次回、お話しする機会がありましたら、ぜひよろしくお願いいたします。
ありがとうございました。









