第1136回 例会 2025年7月30日(水)
更新日:2025/07/30
第1136回 例会
1.点鐘
2.ロータリーソング斉唱(第4週)
3.長坂 誠会長 挨拶
皆さん、こんにちは。
本日は「買うこと」についてお話したいと思います。
通称バリンジャー・クレーターとよばれるものがあります。
5万年前に隕石が衝突してできた直径1.2キロの巨大クレーターです。
このクレーターを作った隕石はどれほどの大きさだったのか。
このクレーターを買い取ったのが、ダニエル・バリンジャー氏といって、19世紀の終わりごろ鉱山開発で財を成した事業家です。
彼の目的は、隕石に含まれていた鉄やニッケルを掘り出すためでした。
祖父が初めてクレーターを見下ろしたとき、隕石の直径は少なくともクレーターの底と同じぐらいだっただろうと想像したそうです。
したがって、膨大な量の鉄やニッケルが眠っているはずだと考え、数百万ドルの儲けをもくろんだのです。
バリンジャー氏は現在のお金にして10億円もの大金を投じ、掘削を続けました。
ところが、掘っても掘っても鉄やニッケルは出てきません。
掘削を続けること25年、意外な事実が発覚しました。
バリンジャー・クレーターを作った隕石は、直径わずか数十メートルに過ぎなかったという研究が発表されたのです。
バリンジャー氏の見積もりは大きく外れました。
彼は掘削を断念し、その直後に心臓発作で急死しました。
しかし私は、これは間違いを犯したとは思いません。
当時としては、巨大な隕石だったと考えるのが当然だったからです。
その後、このバリンジャー・クレーターをめぐって研究が進みました。
バリンジャー氏がクレーターを買い取ってちょうど百年になるのを記念して、全米から多くの人が集まりました。
数百万ドル、すなわち現在の10億円ほどの投資によって、この天体衝突跡は世界中の人に知られることとなったのです。
百年後、大勢の子孫が集まり、このイベントを楽しみました。
鉄やニッケルなどと比べものにならない、大きな財産を築いたといえるでしょう。
だから、もし今この遺跡を10億円で買えるのであれば、ぜひ買いたい。
もっとも、現金はありませんし、私には叶いません。
しかし、世界中の人が訪れるこの地を思うと、バリンジャー氏の投資は大変意義深いものであったと考えます。
以上でございます。
4.食事 (会長)
5.沓名由美子幹事 報告
(1)本日例会終了後、定例理事会を開催いたします。理事の皆様よろしくお願いいたします。
(2)9月3日の例会終了後、クラブあっせんブリーを開催いたします。理事・委員長の皆様、ご出席をお願いいたします。なお、都合で欠席される方は、同じ委員会の中から代理出席の方をお願いいたします。
(3)11月9日、地区大会2日目のご案内を配布いたしました。出席義務のある理事・委員長、入会3年未満の方はご出席をお願いいたします。義務者以外でも、講演等に参加を希望される方は事務局までお知らせください。
(4)他クラブの例会変更を事務局にお問い合わせの上、メーキャップをお願いいたします。
高校の教員を定年退職まで務めてまいりましたが、今日、教え子の大見君からこのようにお話をする機会をいただきました。
以前は別の予定があり、急きょ代役をお願いすることも考えておりました。
私と一緒に安城南高校で柔道を教えていた大河内君が、全国大会で日本一となり世界大会にも出場するような実績を持っており、彼に託そうと思ったのですが、報告もなくそのままになってしまいました。
そんな折、このようなお話をいただきました。
私は安城南高校で勤務し、柔道を指導しました。
部活動を通じて多くの生徒と関わり、特に加藤君のことはよく覚えています。
お互いにふざけ合い、時に痛い受け身も笑いながらやったことを思い出します。
大見君は当時の自分を「やんちゃ」と振り返っていましたが、それも間違いではありません。
けれども今になれば、それが彼の魅力であり強みになっていると感じます。
今日のテーマは「思い出に残る先生」です。
皆さんにとっても、学生時代に心に残る先生が一人はいるのではないでしょうか。
時間が経って振り返ると「こんな先生がいたな」と思い出すことは少なくありません。
そんな先生との出会いは、人生の大切な財産です。
私は28歳から32歳まで、西尾実業高校(現愛知県立鶴城丘高校)で柔道を指導しました。
初心者を鍛え、全国大会にも出場しました。
その後、安城南高校の新設にあたり、柔道部の立ち上げを任されました。
男子だけでなく女子柔道の指導も始まり、全国大会に導くことができました。
安城での生活では、地域の方々や保護者の皆さんとの縁も深まりました。
居酒屋で知り合った方からご縁をいただいたこともあります。
安城という土地は、人とのつながりを大切にする温かい地域だと実感しました。
その後、岡崎高校などを経て管理職を務めるようになりました。
振り返れば、やんちゃな時代を知る同級生や教え子から見れば「村松が校長になったとは」と驚かれることもあります。
しかし人間は成長します。
若気の至りもありましたが、経験を重ねて学んできたことが、今の自分につながっています。
現在は通信制高校の校長を務めています。
通信制では多様な生徒が集まります。
髪をカラフルに染めたり、ピアスをしたり、個性豊かな生徒がいます。
私は「校長はそんな格好はできないけれど、君は素晴らしい」と伝えています。
生徒の個性を認めながらも、最後には「ダメなものはダメ」と伝えることが大切だと考えています。
思い出に残る先生とは、部活動など日常的に深く関わった先生であることが多いと思います。
私も生徒に「会いたいと思った時に、まだ元気で会えるうちに訪ねなさい」と伝えています。
また、近年は教員の不祥事が多く報道され、残念に思います。
信頼を失うような行為をしてはいけません。
私は管理職時代、若い先生たちに繰り返し注意をし、教頭にも「異変を見抜ける力が必要だ」と伝えてきました。
教師は生徒や保護者から信頼される存在でなければなりません。
嫌われる先生は、自分の考えを押し付ける先生、話を聞かない先生、見て見ぬふりをする先生です。
逆に、思い出に残る先生とは、生徒と真摯に関わり、厳しさと優しさを持って導いてくれる先生だと思います。
私自身、柔道部の顧問として、時には厳しい指導をしました。
結婚式に招かれることもあれば、「怖かった」と言われることもあります。
しかし、それも含めて今なお教え子とつながりを持てることを幸せに思います。
これまで、西尾実業、安城南、岡崎高校などで柔道を指導し、校長としても多くの経験をさせていただきました。
今でも「村松が校長になった」と言われますが、それもまた私の誇りです。
思い出に残る先生は、誰の心にもいるはずです。
ぜひ皆さんも、ご自身の人生を振り返り、思い出に残る先生を思い出してみてください。
その先生もきっと喜んでいると思います。
本日は拙い話にお付き合いいただき、ありがとうございました。