クラブ会報

第1101回 例会 2024年8月28日(水)

更新日:2024/08/28

第1101回 例会 

ビジターならびに、ゲスト:おみえになりません

1.点鐘 

2.ロータリーソング斉唱(第3週)、4つのテスト唱和 

3.弥政晋輔会長 挨拶 

弥政晋輔会長  挨拶
弥政晋輔会長 挨拶

皆さん、こんにちは。
会員の伊吹次郎さんがお亡くなりになりました。
最初にみんなで黙祷を捧げたいと思いますので、ご起立をお願いします。

黙祷

伊吹次郎さんは、ことの始めはコロナ肺炎で当院に入院されました。
それは治りつつありましたが嚥下障害になり、物が飲み込めない、ご飯が食べられなくなってしまい、点滴ポートを入れて点滴しながらとにかくリハビリをやりました。
一時は、老人ホームで訪問リハビリといって嚥下のリハビリや動くリハビリを続けました。
当初主治医は「もうRCにご飯を食べに行くなんていうのはもう夢のまた夢、無理だ。」ということを宣告されていたのですが、それはもうたいそうな努力をされて、奇跡的に復活されてご飯が少しずつ食べられるようになりました。
ご自宅に帰られてもリハビリを続けてこられて、この例会にも何回か復活の出席をされておりました。
伊吹さんと長いお付き合いのある会員の方がたくさんおられると思いますので、私から言うのも口はばったいですけれども、ワインとステーキが大好きで年末になると合唱の練習をして、ニューヨークのカーネギーホールでも歌ったことがあるようでした。
心からご冥福をお祈り申し上げたいと思います。
今日は午前中に葬儀が行われた関係で例会も少し変更しました。
急遽、プログラム委員長の斎藤さん、杉浦幹事、事務局の杉崎さんで今日のような会を形作ってアレンジしてくれたということで大変感謝しております。

4.食事 (会長) 

5.杉浦秀郎幹事 報告 

杉浦秀郎幹事  報告
杉浦秀郎幹事 報告

(1)本日例会終了後定例理事会開催ついて
(2)次週9月4日、次々週9月11日例会休会について
(3)9月18日新会員大参浩明さん入会式について

6.委員会報告  

加藤伴子出席副委員長
加藤伴子出席副委員長

(1)出席委員会 出席報告 (出席委員会)

会員数        59名
出席義務者出席数  32名
本日の出席者数   45名
本日の出席率    90%
先々回の修正出席率 92.5%

横山智則親睦活動委員長
横山智則親睦活動委員長

(2)秋の親睦家族会について(親睦活動委員会)

柴田茂博ニコボックス委員長
柴田茂博ニコボックス委員長

(3)ニコボックス報告(改め追悼ボックス)  (ニコボックス委員会)
6件

7.本日の例会   

『伊吹次郎さんを偲ぶ追悼例会』

担当:プログラム委員会

竹内裕恭さん
竹内裕恭さん

〇古希冊子にまつわる思い出紹介 (竹内裕康さん)

伊吹さんの好きな男優・女優・政治家・歌手・スポーツ選手・小説家
男優 ………………仲代達也
女優 ………………吉永小百合
政治家 ……………吉田茂
歌手 ………………小柳ルミ子
スポーツ選手 ……長嶋茂雄
小説家 ……………五木寛之

正統派の方々がお好きだなという印象を受けました。
伊吹さんは堀尾さん、神谷さんと同級生であるということをいつも大変喜んでいたし誇らしげに語っていました。
ゴルフが大好きでいつもピンクのお召し物でゴルフに参加する姿が印象的でした。
また吉野家の牛丼が大好きでよく食べに行っていたとお伺いしています。
昨日のお通夜で私も吉野家の牛丼をお供えさせていただきました。
皆さんにとても愛されていた伊吹さん、天国でも楽しんでください。

杉浦秀郎幹事
杉浦秀郎幹事

〇25周年記念誌伊吹さんの原稿の紹介 (杉浦秀郎幹事)

三河城ロータリークラブ創設時の伊吹次郎さん
附属中学校の同級生の大岡皮膚科の堀尾ドクターに新しいクラブができるから一緒に入ろう!と誘われ13人のチャーターメンバーになりました。
新人だったので新しいクラブで最初から関われたことを誇りに思いました。
その式典が安城のデンパークの水上ステージであり、開幕は左側のドームの中から堀尾ドクターが口をもぐもぐさせて白い手袋で「やあやあ!」と昭和天皇の身振りで出てきたのが楽しい思い出です。

堀尾 豊さん
堀尾 豊さん

〇伊吹さんとの思い出を語る(堀尾 豊さん)
まず、ここに彼がいないことは信じられません。
私と伊吹さんとは中学校3年間の付き合いでした。
中学校はちょっと特殊な付属中学校でして、3年間1回もクラス替えがありませんでした。
担任も2人。
それも3年間変更がありません。
ですから彼とは短い期間ではありますけれども仲良かったです。
ただ、彼とクラブ活動を一緒にやった覚えもないし何が接点だっただろうというふうに考えておりますけれど、彼が「堀尾君堀尾君」なんて言って仲良くしてくれてくれたことは事実であります。
中学を卒業した後、私が安城へ帰ってきた頃彼は保険会社を設立しました。
それで友人という関係もありまして、うちの委員も含めて全て彼のところへ移しました。
友人や知り合いを彼の保険に入ってもらうように紹介しました。
彼はロータリアンになることをステータスと思っていたのか、入会を希望しておりました。
ですから新クラブを作る時に石原さんや神谷さんに協力してもらい、彼に入会してもらいました。
彼は毎朝早朝に散歩をしていると言っていましたし、ゴルフ大好き人間でしたし、まだ大工にも力を入れてやっておりました。
同級生の中で、彼が一番は若くて長生きするだろうと私も思っておりました。
このようなことになるということは全く信じられない、そう思います。
誤嚥性肺炎とコロナに罹ったようですがそれを克服して、2回ほどRCに出てきました。
その時は私の隣で、液体には薬を入れて飲んでおりましたけれど、非常に元気でこれで復活したと思っておりました。
まさかこのような現実になるとは夢にも思いませんでした。
今日も弔辞で申し上げましたけれども、向こうで幸せに暮らして俺を待っているのかな。
以上です。

〇2008-2009年度クリスマス例会時に合唱をした様子のDVD鑑賞

8.閉会 (会場委員会) 

9.点鐘 

今後の予定 



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