第705回 例会 2014年12月17日(水)
更新日:2014/12/17
第705回 例会
ゲスト :
ビジター:
1.点鐘
2.ロータリーソング斉唱
3.竹内会長挨拶
12月14日は、忠臣蔵の赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをした日です。「忠臣蔵」の「忠臣」とは忠義を尽くすことで、「蔵」は大石内蔵助の蔵といわれています。従って忠臣蔵は赤穂浪士をたたえた話です。
忠臣蔵でテレビや映画で取り上げられている内容のほとんどは芝居で作られたことで、歴史上では「赤穂事件」といい、江戸城松の廊下で吉良上野介が浅野内匠頭に切り付けられたこと、12月14日に赤穂浪士が吉良邸に討ち入りをしたことぐらいが事実のようです。芝居でいう吉良上野介の浅野への陰湿なイジメのようなものは定かではありません。
浅野は即日切腹させられていますが、どちらかといえば可哀そうなのは吉良上野介であるという声もあり、不運の殿様とも言われます。吉良様は、努力家で温厚で真面目な人物と言われています。おそらく、どうして自分が浅野に切り付けられたのか、また討ち入りにあったのか分からないまま亡くなったともいわれ、その2ケ月後には吉良家は幕府から「お家断絶」になっています。
芝居は、正義と悪役を作らないと面白くなく、吉良様は悪者のレッテルを貼られたまま今に来ています。名門吉良家にとっては迷惑な話であります。忠臣蔵の吉良家は本当の吉良家ではないと、いつかは汚名返上しなければ浮かばれないと思うわけであります。
4.幹事報告
安藤幹事
・次週12月24日の例会終了後、定例理事会を行います。
・本日受付にて、創立記念日をお祝いしたお菓子を配らさせていただきました。まだお受け取りになっていない方は、お受け取りになってからお帰り下さい。
・年明け最初の例会は1月8日木曜日に18時から開催します。日時にお間違いのないようお気をつけ下さい。
5.委員会報告
出席報告 出席委員会
会員数 64名 出席義務者数 49名 本日の出席者 57名
出席率 88.52%
ロータリーの友12月号の紹介 堀尾豊君
ニコボックス報告 ニコボックス委員会
7件
第2回三河安城RCゴルフコンペ兼安城七親会 成績発表
開催日 2014年12月16日(日)
会場 葵カントリークラブ
参加者数 8名
第2回ゴルフコンペ
優勝 山本 雅仁君
準優勝 岡崎重太郎君
七親会 団体3位 入賞
6.卓話 「ロータリー今昔)
卓話担当:植村 康人君
卓話者 :植村 律保君
【植村康人君】
私も10月に出席免除になりまして、もういちどロータリーの真髄を考え直そうと、それと私が40歳でロータリークラブに入会した当時は、本当に一業種一人で(入会基準が)厳しく、安城にも1ロータリークラブしかなかった。私の推薦人が石原勝成さんともう一人、大変厳しい人でスズキカズオさんという方がみえまして、本当にその人は厳しくて、私が2回休んだら、しかもちゃんとメーキャップもしているのに私のところに飛んでこられて、「植村君、2回も休んじゃイカン」と言われまして。昔は推薦者のところに苦情が行くようになっていました。先ほど堀尾豊先生も仰っておられたのですが、“女性は入会させてはいけない”ですとか“早退は6割以上の時間の出席が前提だから、36分以上たってからでないとダメだ”等々、スズキカズオさんから厳しく教えられました。
今もう一度、厳しいロータリーの真髄をお話して頂ければと思い、植村律保さんにご依頼したところ、快く引き受けて下さいました。皆さん、本日はしっかりと聞いて下さい。
よろしくお願い致します。
【植村律保君】
私は本年でロータリーに40年6ヶ月在籍しております。入会を許可された当時から現在に至るまでに幾多のロータリーの変遷を見聞・経験してきたので、そのことについてお話しいたします。
私がロータリーに入会したのは39歳の時でした。JCの理事長を終え、日本JC愛知ブロック協議会副会長に任命された年です。ロータリー入会の推薦をして下さった方は今は亡き神谷仁兵という方でした。ある日突然私の家に来て下さって、ロータリー入会の手続きが完了したから入会して欲しいとのお話でした。大変うれしく思ったのですが、ロータリーとJCの二足わらじを履くというのはいかがしたものかと迷いに迷って、ある先輩に相談したところ、今入会を断ったら、いつ入会できるか分からない。ロータリーは一業種一人制であるから、もし他の同業種の人が入会したら永久に入会できなくなるので入会をお受けするようにとアドバイスして下さいました。
1974年(昭和49年)6月に安城ロータリークラブに入会させていただきました。
入会してまもなく、会長の加藤政男さんから「IMのスピーカーに指名したから頼むぞ」と言われ、まさに晴天の霹靂でした。当時(40年前)のIMは、ホストクラブは全員参加、他のクラブは会長、副会長、幹事及び職業奉仕・社会奉仕・国際奉仕の各委員長と3年未満の新入会員が出席義務者でした。
当時、我々の地区は、第360地区西三河分区で安城・岡崎・豊田・刈谷・碧南・西尾の6クラブで構成されていました。各クラブの新入会員はガバナーのテーマに沿ってスピーチをすることとなっていました。私たち新入会員に与えられたテーマは、「ロータリーに入会して感じたこと」という簡単なテーマでした。一人あたり10分以内という時間制限が設けられていました。
私は、「ロータリークラブに何故女性会員がいないのか?イギリスでは、アイアンウーマン、サッチャー首相、インドでは、ガンジー首相、アメリカ・ヨーロッパ諸国では数多くの女性実業家、科学者が活躍しているのに、何故入会者がいないのか?」という質問に対して、時のガバナーは「女性がロータリーにいないのは、ロータリーが男性だけの修練と社交場で、和を尊ぶためだ。」ということでありました。
IMは、西三河分区6クラブの会長・幹事会、職業奉仕・社会奉仕・国際奉仕各委員長会を開催し、各クラブとも他クラブの良きところを次年度の計画に取り入れ、切磋琢磨してクラブの発展に役立たせたと聞いております。現在のIMは各クラブ全員登録で親睦主体のミーティングになっています。どちらがロータリー活動に役立つインターシティーミーティングでしょうか。
次に会員増強のことに触れたいと思います。
2001年(平成3年)のRI規定審議会で会員の種類が正会員と名誉会員が統合されるとともに、一業種一人制による職業分類制度が廃止され、「メンバー50人以下のクラブは5名、それ以上の会員数を持つクラブは会員数の1割以内で同業他者の入会を認める。ただし、先に入会している同業者の同意を得ることが必要である。」と記してあります。
何故、長年ロータリーのプライドとも言うべき一業種一人制を廃して一業種複数制度にしたかというと、1997年(平成9年)にアジア通貨危機が発生し、世界経済に影りが出て、多くの会員が退会したことが主たる要因です。
さらに、2008年(平成20年)9月15日のリーマンショックにより会員が激減しました。そこで、RI規定審議会はEクラブ(インターネットクラブ)の設立推進と子供の世話、または配偶者の仕事の手伝いのために仕事を中断した人、即ち家庭の主婦にもロータリー入会を認めるという決議をしました。私には全く理解できません。
ロータリーは「Service Above Self」(超我の奉仕)のもと、職業奉仕を中心に歯車が回らなければなりません。本年度2760地区近藤ガバナーが当クラブへ訪問された時のお話では、ロータリーは一業種一人制が基本であると力説されました。同感の至りです。
会員増強のために2010年(平成22年)規定審議会で承認されたEクラブについてお話しいたします。
Eクラブの例会はウエヴサイト上で行います。従って、定められた曜日と時間に例会場に行く代わりに、Eクラブ会員は、一週間のうちどの曜日や時間にも例会出席ができる。即ち自分の都合のよい日と時間にサイトを訪れることができるということです。
Eクラブの例会内容や会員のデータは一般の閲覧者には見られないように保護されているということです。Eクラブはその地域に縛られることなく、全世界から会員を募ることができます。そして、ロータリアンなら誰でもEクラブの例会に出席してメーキャップを行うことができます。しかも、365日24時間、日本にいながら世界中のEクラブ例会に参加することができるということです。
2014年(平成26年)5月、2760地区に田中ガバナーのもとで愛知ロータリーEクラブが会員22名で創立されました。何故、Eクラブがこの地区で設立されたかと申しますと、RI採択制定案13-54で、地区にEクラブの設立の割り当てがあったからです。
ロータリーは、親睦と奉仕の二大テーゼがその歴史の中から生まれるべくして生まれました。果たして、インターネットのEクラブで親睦をと奉仕活動ができるのか、極めて疑問に思うところであります。ましてや、家庭の主婦までロータリー会員として認めるというのは、論外であると思います。
次に地区ナンバーの変遷ですが、私が入会した当時は長野県と同じ第360地区でした。地区大会は一年交替で担当していました。長野県で大会が開催される時は、前日温泉に浴し、大会に出席して、翌日はゴルフを楽しみました。1977年(昭和52年)6月まで第360地区でした。ガバナーは長野県諏訪ロータリークラブの藤原正男氏でした。
1977年(昭和52年)7月、愛知県・長野県は第260地区に変更となりました、ガバナーは、豊橋ロータリークラブの森 泰樹氏でした。
1987年(昭和62年)7月、愛知県は第267地区に変更となり、愛知県単独となりました。ガバナーは、半田ロータリークラブの田中 徹氏でした。
この年、安城クラブは30周年を迎え、石原勝成さんが会長の時でした。周年の記念事業として、アメリカのハンチントンビーチと姉妹都市の締結をし、ハンチントンビーチロータリークラブから7名が來安され、式典に参加されました。
皆様に2008年(平成20年)の地区委員会名と委員会構成メンバー数を記載した資料を配布させていただきました。無駄と思われる委員会が数ヶ所目につきます。全体としてもっとスリム化し、各ロータリークラブの分担金を軽減すべきだと思います。地区は年々歳々肥大化し、まさに中央集権化していると思うのは私一人だけでしょうか。
次に女性会員についてお話しいたします。1989年(平成元年)に規定審議会で承認されました。ロータリーの歴史上重要な転換点となりました。承認の切っ掛けは、1980年代(昭和55年)にアメリカ内のクラブに有資格の女性の入会を認めるアメリカ最高裁判所の決定が下されたことでした。規定審議会承認以後、女性会員が各地で漸増しました。日本においても、1989年(平成元年)北海道の清水ロータリークラブに初の女性会員が誕生しました。
2013年度(平成25年)男性会員と女性会員の割合は、世界平均で男性81%、女性19%、日本では、男性92%、女性8%となっております。中央・東南アジアでは、男性58%、女性42%と女性会員数がほぼ半数に達しています。
さてここで、RIのメインプロジェクトについて少し触れます。
1986~87年、RI会長マット・カバラス氏が村落・近隣・地域社会で生活を向上させるための、ロータリー村落共同体即ちRCCプログラムを設けました。
1987~88年、RI会長チャールズ・C・ケラー氏がポリオプラスキャンペーンで世界中のポリオを撲滅するために2億2千万ドルを世界中の各ロータリークラブから集め、世界保健機構及びユニセフとの提携を始めました。一応、1990年(平成2年)にポリオプラス撲滅の終結宣言を出したのですが、根絶することができなく、1991年(平成3年)~92年ポリオプラスへ460万ドル寄付しました。今日に至るまで、ポリオ撲滅のための資金寄付が行われています。一日も早くポリオの撲滅ができることを祈念する次第です。又RIは、識字向上運動も熱心に継続事業として取り組んでおります。
ここで、長年培ってきた私のロータリーについての思いをお話しさせていただきます。
皆様ご存じのとおり、ロータリーは1905年(明治38年日露戦争の年)シカゴで誕生してから109年の歴史を刻んできました。
創始者ポールハリスを始め、多くのロータリアンの人生がその中にあります。多くの人がロータリーに希望を見出し、中には失望して去った人も少数であるが、あると思います。しかし、ロータリーは現在、基本的には多くの人々の共感を得ることによって拡大を続けており、そのことは紛れもない事実であります。何故、ロータリーはそのように発展し続けることができるか。このことを実証的に究明することは、それはそれで、十分興味のあるテーマであると思いますが、このことは別の機会に譲るといたしまして、それだけ発展を続けているロータリーでありながら、その一方で、例えば日本の各地域の中でロータリーの存在はあまり知られているとは言えません。
世間一般のロータリーについての認識は、会社の社長とか偉い人が集まって一緒に昼食を食べ、たまに奉仕と称して慈善的なことを行う団体であるといった程度のものであると言われています。こういった見方は多分日本のロータリーだけではないと思います。
例えば、イギリスの劇作家バーナードショウが「ロータリーはどこへ行く。昼食を食べに行くのさ」と皮肉ったという有名な話があります。この財界サロンとしか見られていなかったということは、初期のロータリーは実際にそうであったということでありまして、それ以降も長いロータリーの歴史の中でそういう姿がずっと続いてきたと思われ、現在でも豊かな階級の昼食会といった見方が色濃く残っています。それ故に、我々会員は、ロータリーの原理原則を我が物にして、ロータリアンとしての意識の高揚を図ることが肝要であると思います。
昔は、財界サロンというように見られていた例ですが、第2760地区で一番歴史のある名古屋ロータリークラブが発足したのは、大正13年で本年90周年を迎えます。スポンサークラブは、東京クラブ、特別代表は米山奨学金の創始者である米山梅吉です。
松坂屋の伊藤次郎左エ門が初代会長で会員は25名でしたが、例会で、東京、大阪にあって名古屋にな無いものとして、飛行場、ゴルフ場、国際ホテルをあげ、これらを造ろうという提案が出され、実際に作ってしまったという話があります。まさに、名古屋財界の集まりが名古屋ロータリークラブであったということであります。
このような形でロータリーが社会に積極的に働きかけるといったことは、極めてまれなことであります。名古屋万国博覧会では、3億前後のお金を集めてロータリー記念館を建設したことは、ロータリーとして近年では希有のことではないかと思います。
先ほど述べたように、世界的には、ポリオ撲滅のための基金、識字向上のための事業の啓蒙運動等ロータリー哲学の実践を行っています。
ロータリーはこれまでの歴史的な経緯からいって、その主体はロータリアン個人であります。よく、ロータリーは奉仕団体であるとする人がいますが、そうではなく、奉仕を志す人の集まりだということであります。それは、つまりその根底にI SERVEの考えがあるわけであります。このことが、ロータリーの奉仕が世間一般からも、又ロータリアンの中からも分かりにくいと言われる由縁であり、クラブ全体として行われる奉仕事業が世間の目に留まることが少ないということになる訳であります。
当クラブには、青年会議所出身の会員が大勢いますが、JCは間違いなく、WE SERVEの団体であります。又LIONSもそうだと思います。JCもLIONSも常に団体として行動しますから、社会一般から分かり易いのではないかと思います。
ロータリーの基本は、I SERVEであります。その中でも、ロータリーの奉仕を象徴するのが職業奉仕という考え方です。
ロータリーの目的(綱領)の2つ目にその狙いの全てが簡潔に示されています。ここに示されている事柄は、それこそがロータリーの基本的な生活態度であると思います。
I SERVE の哲学(理念)はあの有名な決議23-34に示されています。これは社会奉仕のみならずロータリー活動のあらゆる取り組み方の指針として今も生き続けています。
ロータリーの目的(綱領)第2項 事業及び専門職務の道徳的水準を高めること
あらゆる有用な業務は、尊重されるべきであるという認識を深めること。そして、ロータリアン各自が業務を通して社会に奉仕するためにその業務を品位有らしめること。
次に、ロータリーをよく知るには、まずロータリーの歴史を知ることが肝要であります。ロータリー発展の歴史は、ロータリーが進む方向を理念として打ち立てていく歴史でもあります。そこには興味深い事柄がいくつも現れ、全く尽きることはありません。
そのようなことからロータリーを学問として研究する学者もいます。又ロータリアンの中にもこれを深く研究し、本を出す人もいます。ロータリーの歴史などから色々ロータリーのことを知ることになると自然に興味も沸いてきます。例えば、例会などで何の気なしに行われていることでも歴史的に見ればそれぞれ成り立ちがあり、意味があることが分かります。
日本のロータリーの創始者米山梅吉は、ロータリーの例会は人生修養の場であると言ったという話は有名ですが、その一方でロータリーの創始者ポールハリスのように、例会に出席している時は、子どもの心即ち童心に帰ることができるといった話もあります。実は、その両方ともロータリーの有り様を適確に表していると言えます。つまり、親睦と奉仕ということです。
親睦と奉仕というロータリーの二大テーゼはロータリーの歴史の中から生まれるべくして生まれたものでありまして、その過程は、一つの雄大なドラマを見るようなものであります。当クラブでもさらに一層、親睦と奉仕の関係について調和のあるものにもっていくことが必要であると思います。そのどちらでも一方が突出するような姿は好ましいものではありません。
例会出席は、会員の最も大事な責務でありますが、ロータリーの目指しているものが伝わってこない例会では、自然と足が遠のくようになるのではないでしょうか。そういった意味で、前半の食事をはさんだ30分間は大変重要であります。これをセレモニーと表現する人がいますが、決して単なる形式的な儀式の時間ではありません。この30分間は、各種の報告も含まれてロータリーの活動の全容を知ることができる時間であり、又、そうあらねばならない時間帯であります。もっと大切にしたいと思います。
ロータリーに自信と誇りを持ってもらうために、ロータリーと例会の接点をもっと分かりやすくする事業の確立は重要であります。
歯ごたえのある事業、クラブの名誉を高める事業、クラブに在籍してクラブを誇りに思える事業、大変難しいかも知れませんが、会員の英知を集めれば決してできないことはありません。
ロータリーは人生修養の理念を支えているのだと思います。いわゆる奉仕の精神とか、ロータリーの心といったものは、人間としての高い倫理観から自然に滲みでてくるものだと私は思います。ロータリーは109年の間、倫理観高揚のために活動してきたと言っても決して過言ではないと思います。
今こそ「ロータリーの心」が必要とされる時代であるとロータリーアン一人ひとりが肝に銘じ、目に見える姿で世の中に示さなければないと考えます。 以上