クラブ会報

第697回 例会 2014年10月15日(水)

更新日:2014/10/21

ゲスト :
ビジター:

第697回 例会 

1.点鐘 

2.ロータリーソング斉唱 

3. 会長挨拶 

 今月1日で新幹線が開業50年になりました。私は、新幹線によく乗りますし新幹線そのものが好きです。
 平成19年に出版された本で、徳渕真利子さんの書いた「新幹線ガール」という本はとても気に入りました。
彼女は、それまでのホテル勤務をやめてJR東海パッセンジャーズに就職し車内販売のパサーになりました。すぐに当時300名いた車内販売員の売上ナンバーワンになったといいます。同じ商品を積んだ普通のワゴン販売の3倍の売上げがあったそうです。
 その本の中に「お客様が私を呼んでいる」という項目があります。
ワゴンで車内に入るとサラリーマン風のお客様のポケットで「チャリンチャリン」という音がしたとき、それは「コーヒーを買うよ」というお客様からの合図だといいます。大切なことは、そのお客様に「今行きますよ」と軽く目くばせをすること、アイコンタクトが大切です、と言っています。
 テレビである外国人が新幹線に乗った時に、ワゴン販売の女性がほとんどお客の乗っていない車内でも、入るとき、出るときには必ずおじぎをしている姿には感動した、といっていました。
 これこそが、日本の「お、も、て、な、し」であります。

4.幹事報告(安藤幹事) 

・次週例会終了後、定例理事会を行います。理事の皆さんはご出席をお願い致します。
・11月20日に結び会を行います。時間は午後6時から。ご案内を配布させていただきました。たくさんの方のご出席をお待ちしております。
・先週回させていただきました「ロータリー希望の風」募金ですが、45,705円集まりました。ご協力ありがとうございました。
・次週はガバナー公式訪問、単独のクラブとしていらっしゃる初めての例会となります。重ねてお知らせ申し上げます。

5.委員会報告 

出席報告 出席委員会 
会員数 64名 出席義務者数 50名 本日の出席者 56名
   出席率 84.19%

雑誌委員会
ロータリーの友10月号紹介 木村雑誌委員長

親睦活動委員会

ゴルフ部会

社会奉仕委員会

ロータリー財団

ニコボックス報告 ニコボックス委員会
  13件 

6.卓話 

『裕次郎からひばり、麗子、清、兼人そして富雄にみる終わり方
                ~~生き切るとは何か~』
卓話者:司法書士 矢田良一

石原裕次郎(いしはらゆうじろう、昭和9年生まれ)
愛称は、タフガイ・裕ちゃん
俳優 歌手であり、石原軍団総帥で石原プロモーション初代社長
石原慎太郎の芥川賞受賞作 『太陽の季節』 の映画化の端役で映画デビュー
『狂った果実』 では、 後に夫人となる 北原三枝を相手役に主演
昭和45年以降は、『太陽にほえろ!』等、テレビドラマで活躍
幼少時代から肝臓が悪く、 高校生の頃に黄疸が出る
27歳の時、 志賀高原スキー場で、 スキーヤーと衝突して複雑骨折
36歳の時、肺結核により入院
44歳の時、舌がん発覚。 石原本人には告知されなかった
2年後、 胸部解離性大動脈瘤で緊急入院したが、 奇跡の生還
昭和59年3月、 肝臓がんが発覚したが、 石原本人には最期までガン告知せず
2年後、 ハワイで静養
翌62年4月ハワイから帰国後に慶應義塾大学病院へ検査入院
同年7月17日、肝細胞癌でこの世を去る、享年52歳

問:不告知の時代、がん告知から守られたタフガイ。果たして裕次郎はその時を迎えたとき何を思ったのか?

美空ひばり(みそらひばり、昭和12年生まれ)

昭和の歌謡界を代表する歌手・女優の1人、 愛称はおじょう
12歳で映画主演を果たした 『悲しき口笛』(松竹)が大ヒット
翌年『東京キッド』に出演し、映画とともに主題歌も大ヒット
25歳の時、 日活の人気スターであった俳優・小林旭と結婚
わずか2年あまりで離婚
44歳の時、ひばりを支えていたマネージャーの実母が癌で死去
昭和62年、 50歳のときの全国ツアー中に福岡総合病院に緊急入院、 病名は大腿骨骨頭壊死と肝硬変そして脾臓巴大で、 3か月余り入院
翌63年4月11日、東京ドームのこけら落としとなる復帰コンサート「不死鳥コンサート」で、脚の激痛に耐えながら合計39曲を熱唱
同年10月、 体調不全の中『川の流れのように』をレコーディング
翌元年6月死去、 死因は間質性肺炎による呼吸不全、 享年52歳

没後の翌月7月、女性として初の国民栄誉賞を受賞
問:歌手生活を一時休止して、療養に専念すれば、長く国民的歌手でありえたのに、そのときを迎えたとき何を思ったのか?

大原麗子(おおはられいこ、昭和21年生まれ)
昭和39年、18歳にてテレビドラマでデビュー
27歳の時、 俳優の渡瀬恒彦と結婚したが、 5年後に離婚
29歳の時、神経疾患であるギラン・バレー症候群を発症し、9ヵ月半の治療ののち克服
復帰後、 『獄門島』・『男はつらいよ』のマドンナ役を2度などの映画からNHK大河ドラマ『春日局』、橋田壽賀子スペシャル『源氏物語上の巻・下の巻』などおよそ80本のドラマに出演するなどの黄金時代
34歳の時、歌手・ 森進一と再婚したが、 5年後に離婚
34歳から10年間、サントリーレッドのCM「すこし愛して、なが~く愛して」
47歳のとき乳がん手術を受ける
平成21年、不整脈による脳内出血にて、死亡推定日時8月3日、62歳で死亡
同年8月23日、 東京の青山葬儀所で盛大な「お別れの会」
問:愛らしい容貌からは想像できないが、 晩年のいくつかの不可解な行動と孤独死。大原麗子は終わるとき何を思っただろうか0x

渥美清(あつみきよし、昭和3年生まれ)
小学校の頃、病弱で小児腎臓炎、小児関節炎、膀胱カタル等の病を患う
学校は病欠が多く、欠席中は一日ラジオで落語を聴いて過ごす
26歳の時、 肺結核で右肺を切除し、約2年間の療養生活を送る
復帰後すぐに今度は胃腸を患い、1年近く入院する
昭和43年、40歳の時、フジテレビにて、『男はつらいよ』が放送
翌44年より、 山田洋次監督の映画『男はつらいよ』シリーズ始まる
主演の車寅次郎 (フーテンの寅) 役を27年間48作に渡って演じ続ける
63歳で肝臓がんが見つかり、66歳には肺に転移
47作からは主治医からも出演は不可能だと言われていた
48作に出演できたのは奇跡に近いとのこと
68歳没。 家族だけで密葬、訃報は3日後の8月7日に松竹から公表
問:渥美清であるために様々なことを諦め、天職の「寅さん」を演じきった渥美清を生き切り、 静かに消えて逝った

新藤兼人(しんどうかねと、明治45年生まれ)

映画監督で脚本家、 広島県名誉県民
広島の豪農の家に生まれるが、父が借金の連带保証人になったことで破産し、14歳、中2の頃に一家は離散
刑事をしていた兄の伝手を頼りに、 京都の新興キネマ現像部でフィルム乾燥の雑役から映画キャリアをスタート
長い下積み時代の後、昭和19年、32歳ながら日本海軍に招集され、海軍二等兵として入団し、上官にはクズと呼ばれ、木の棒で気が遠くなる程叩かれ続けた。 同期の若者は大半が前線に送られ100名のうち、94人が戦死
昭和20年終戦後、脚本家としてデビュー。『愛妻物語』で映画監督デビューし、昭和27年原子爆弾を取り上げた映画 『原爆の子』を発表。世界で反響を呼び、多くの賞を受ける
以降は自作のシナリオを自らの資金繰りで監督する独立映画作家となり、 昭和35年に撮った台詞(セリフ)のない無言の映画詩『裸の島』はモスクワ国際映画祭グランプリを獲り、新藤は世界の映画作家として認められた。 乙羽信子と40歳で出会い、66歳で再婚
社会派作品を次々と発表し 『第五福竜丸』、老いをテーマとした『午後の遺言状』[ など社会に問題提起を投げかける作品を発表
最高峰の脚本家であり、社会派監督として名を馳せ、 さらにプロデューサーとしての業績を加えると、 日本映画への貢献度は計り知れない

問:映画をつくるしか能のない新藤監督、生涯恵まれた状況でなかった故に100歳
現役の大往生の終わり方ができたのではないでしょうか。

多田富雄(ただとみお、昭和9年生まれ)
世界的な免疫学者にしてエッセイスト、 東京大学名誉我受
67歳の時、 滞在先の金沢にて脳梗塞を起こし、 一命は取り留めたが、右半身不随となり、声を失う
声と利き腕を失った多田は、9年間のリハビリ生活の中、パソコンを学んで左手で打ち、 五十音の出る音声装置を使いこなし、以後14冊の著書を著す
平成22年、前立腺がんで76歳にて死去
問:生き切るとはどういうことか?身をもって教えてくれた終わり方です。


浅丘ルリ子の弔辞 ~~~ 大原麗子のお別れの会より
麗子、 あなたとのおつき合いもテレビドラマの共演がきっかけで33年ぐらいになります。 あなたは私の友だちというだけでなく、 私の家族全員の友だちでした。 「麗子を浅丘さんのうちの家族にして。 一番下の妹にして」 と言っていたように、 私の両親や姉の最期にも立ち会ってくれました。 特に父の最期には、 ベッドに寄り添って 「お父さん、お父さん」 と、 顔をなでてくれた優しい麗子を忘れません。 人のためにも、 自分のことにも、 本当によく泣く人でした。 結婚してからも、 お正月を毎年私の実家で過ごし、 よくしゃべり、遊び、食ぺ、楽しい日々でした。いつのまにか、お正月はもちろんのこと、お互いの誕生日、花火大会、おいやめいの結婚式まで、 欠かせない人になっていました。 そんなあなたともここ数年、 何度も言い合いをし、けんかになって、距離を置いた時期がありました。夜中の2時、3時におかまいなくかかってくるあなたからの電話、長々と人様や自分の不平不満を訴えるだけの一方的な長電話、こんなことが何回も重なると、あなたの声さえ聞いているのも辛くて、「もう麗子からの電話には出たくない」と思ったものです。 私だけではなく、あなたを大切に慈しんでくれた身内の方、友人たち、すばらしい仕事仲間たちの行為を一切受け付けず、拒否し続けるあなたの気持ちが私には分かりませんでした。 そんな去年の暮れ、転んで骨折したことを知り、食事を用意して妹とうちを訪ねたとき、あなたは玄関で私の顔を見るなり飛びついてきて、「なんで浅丘さんすぐに来てくれなかったの。浅丘さんが来てくれるのずっと待ってたんだから」と、私と2人、尻餅をついたまま、怒って泣いているあなたの肩を抱きながら、私が思っている以上に深い苦しみを抱えて、傷ついていたのだと、麗子の心の内が見えた思いがしました。それから数力月、突然の訃報を聞いてただ驚き、信じられず、まるで心の中に重い石を詰め込まれたような思いで、 何も考えることができず、『どうして、どうして』と、つぶやくばかりでした。 初七日に優しくほほえむあなたの遺影に向かったとき、私は「麗子のバ力」と思わず言ってしまいました。あんなにかわいく、優しかったあなたが、 突然、頑固でわがままな人になってしまったのはなぜ。誰かれ構わず、怒りをぶつけていたのはどうして。 なぜ、あなたは周りの人をこんなに混乱させたまま、 逝ってしまったのでしょうか。何を聞いても答えてくれないあなたの遺影を見つめているうちに、 写真のあなたの顔がくしゃくしゃとゆがんで、泣いているように見えました。その時、あなたの抱えていた病気が、一人でいる寂しさがどんどんあなたの心をかたくなにしていったのだと今更ながら分かったような気がします。あなたがどんなに私のことを拒否しても、姉として、あなたをちゃんと受け止めてあげるべきだったのです。 優しく、うしろから背中をさすってあげればよかったんです。本当にごめんね麗子、ごめんなさい。 今、こうしてあなたに話しかけている私は、もうなんのわだかまりもありません。 私はあなたのあふれるほどの優しさ、かしこさ、 かわいらしさだけを思いだしています。どうそ、おだやかに心静かに休んでください。私の妹、麗子へ。

 

 

7.点鐘 


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